2022年09月16日公開
千葉県房総半島の人気ローカルアングラーが自身のブランドを立ち上げた。ブランド名は『BETOBETO』。その記念すべき第一作目HOO(フー)155Fが発売間近に迫っている。「決して万人が使って釣れるルアーというわけではないですけど、一言でいえば『これで釣れたら楽しいな』っていう部分が強いのかな」と本人は謙虚に語る。一方で、写真のようなデカバスを釣らせてくれる実力者でもある。秋の気配が漂う亀山湖でその全貌を明かしてもらいました。
川島勉さんって誰?
関東のアングラーには馴染み深い川島さんですが、その背景やバスとの馴れ初めを知らない読者のために、まずは川島勉という人物について触れておきたいと思います。
川島さんが本格的にバスフィッシングを始めたのは、美容師専門学校を卒業して見習い職についた20代前半のこと。生まれ育った君津の隣町、木更津で美容師としてスタートした当時は休みもろくになく、修業の日々に追われていた。昭和世代にとっては「我慢が当たり前」で、常にストレスと隣合わせだった。そんなある日、昔かじったバス釣りを思い出し現実から逃避するように、亀山湖へと出向いた。
「子供の頃に使っていたタックルを引っ張り出して、ロードスターのオープンカーに乗って行きました。松下ボートで手漕ぎボートを借りて、何も考えずにボーっとやってたら56cmが釣れたんです」。
リールは現在で言う1000番代。それにナイロンラインの10ポンドか12ポンドがスプールに少量巻かれ、キャストもままならなかったそうだ。無心で立木にスライダーワームを投げて放っておくと、とんでもないサイズが喰ってきた。
「立木に巻かれて『こりゃダメだ』と近づいたらバスが見えて、『どうしよう、どうしよう』と右往左往しました。最初に見えた時はデカすぎて気持ち悪かった。世界記録じゃないかとも思いましたね(笑)」
現在では関東でも55cmアップは珍しくないが、30年前は50cmアップすらなかなか釣れなかった時代。ラインが太かったこともあり、手にしたバスは生涯忘れることのできないメモリアルフィッシュとなり、スポーツ新聞にも取り上げられたらしい。
「新聞に15分の格闘みたいなことが書かれてたんですけど、実際は立木に絡みついて15分くらい『どうしよう』って、あたふたしていただけなんですよね」
実はJBトーナメントアングラーだった!?
「初めてバスを釣ったのは、それよりももっと前なんです。確か小学4年生か5年生くらいだったかな」
地元の駅から久留里線に乗り、ひとりで亀山湖を目指した。当時の担任教師が亀山在住で一緒に釣りをしたという。その時のターゲットはバスではなくワカサギだった。
「当時はまだ橋の上から釣りをするのが普通のことで、その日も橋からワカサギを釣ってました。そのワカサギにバスが喰ってきて、それが自分の人生初バスでしたね。ドキドキしながら持ち帰って魚拓を取って、塩焼きにして食べちゃいました」
中学時代は野球に明け暮れ、次第に釣りからは遠ざかって行くようになった。
「釣り自体は好きで、午前中で野球が終わると午後だけ近所の野池に友だちと行ったりしましたよ。ただ、当時は『釣り=ダサい』っていう風潮があったんで、恥ずかしくて行きづらかったのを覚えてます」
高校時代はバンドにハマり、その4~5年後に56cmのバスと出会うこととなった。
我慢の修行時代を経て時間に余裕ができると、今度はトーナメントに参戦する。
「釣りして金もらえるなら最高じゃん!と、調子に乗ってましたね(笑)」
房総ローカルとして有名ではあるが、その当時は河口湖や北浦など各地を転戦していた。2001年にはJBⅡ河口湖戦で優勝し、こんなコメントも残している。
「(以下、原文)美容師である私にとって火曜日開催のトーナメントは大変ありがたい。去年はジャパンA河口湖戦のみ参加し総合4位。今年も緒戦から優勝と出来過ぎで恐ろしいです。平日最高!いつまでも楽しく釣りを続けていきたいと思います」
この試合でペアを組んだのが亀山湖を拠点に開催するNBC房総チャプターの会長で、川島さんはスタッフとして駆り出さることとなった。
「房総チャプターが始まった翌年に日韓ワールドカップがあったんです。チャプターの日にトルコ戦があって、すぐに帰ればライブでサッカーの試合を観ることができたんですけど、チャプター反省会に強制的に出席させられて観戦できなかったんです。それが腑に落ちなくてトーナメント活動も辞めました(笑)」
人生の転機と一大決心
勤めていた美容院を辞めて29歳で独立し、自分のペースで時間が取れるようになった頃から、釣りのスタイルにも変化が現れ始めた。そのスタイルは、どうにかして釣らないといけないトーナメントとは真逆の方向だ。
『今日はこんなルアーで釣りたいな』
『このルアー、もっとこうすれば釣れるのでは?』
手先が器用で探究心の強い川島さんらしく、自由な釣りを楽しんでいた。そんな折に声をかけたのがジャッカル社だった。房総リザーバーのスーパーロコとしてフィーチャーされ、躱マイキーやポンパドールといった名作を生んだのである。トーナメントとは違った思考が一般アングラーに受けて、そのスタイルが確立されたのもこの頃だった。
「ジャッカルでの経験は大きかったですね。モノ作りのノウハウも教えてもらったし、人とのつながりも増えました」
そして2022年、ジャッカルとの契約を終え自身のブランド発足を決意。それと同時に本職の美容師も引退。
「いろんな意味でタイミングが良かったのかな。ちょっと前までは自分でメーカーをやるつもりもなかったんです。けれども、おじいちゃんになるまで美容師をやるつもりもなかった」
この先の人生について、もやもやしていた時に友人の死に直面する。
「自分が踏み切れないでいたのを彼が後押ししてくれましたね。彼は散々自分のやりたいことをやってきて、『逝っちゃったら逝っちゃったで仕方ない』ってよく口にしてました。悔いのない人生っていうんですかね。自分は体力的にもモチベーションもあと10年、がんばっても15年だと思うんですよ。一度きりの人生だから後悔しないようにしたい」。
ブランド名『BETOBETO』がまさに川島さんの心境でありメッセージでもある。BETOBETOと書いてベトベト。アルファベットでは『Be to』だ。
「意味合いとしては『be to』=『なにかしなくてはならない』と『to be』=「また次」「続き」といったニュアンスです。自分がやりたいことをやっていたいっていう気持ちが強く、遊び方とか遊び道具を提案してそれに共感していただける方と楽しめたらいいな、と思っています」
後編ではデビュー作のHOO(フー)155Fについて余すとこなく紹介してもらっています。
施設等情報
施設等関連情報
■車:圏央道・木更津南ICから約30分、館山道・君津ICから約35分
この記事を書いたライター
現在は、千葉県君津市在住のフィッシングライター&エディター。